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お気に入りの本
アジア人との正しい付き合い方…マレー人と結婚してシンガポールで長年働いた著者による異文化間コミュニケーション論。日本語の「友達」と韓国語の「チング」との意味の違いを明らかにしたり、フランスを例にとって、世界には水が貴重でトイレのない(なかった)文化もあると語ったり、外国人留学生から日本人の食事の速さに対する苦情が多いことを示したりして、外国人とは国籍や言葉が違うというだけでなく、違う文化を身に付けた存在であることを具体的に著し、さらには異文化への偏見や蔑視が生まれる仕組みをも教えてくれる。まさに「文化」とは、何をするにしても人を背後からコントロールする何者かなのだ。だからこそ、異文化は人の心をかき乱す存在でもあり、異文化間コミュニケーション(Intercultural Communication)を論ずることも必要になる。
日本にとって中国とは何か…映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」を素材にして、中国人の範囲が広くて複雑な親族呼称や、身内意識の強い父系出自集団である「宗族」の具体像を描く、3章「中国人の歴史意識」が面白い。宗族の過去を知る事が中国人として生きるための不可欠な条件になっていること、なかでも宗族の名簿である「族譜」上の同世代にあたる「世輩」の上下関係を基準にして、社会秩序としての「礼」を維持してきた慣習が、中国人の歴史意識を発達させたこと、そしてそれが、日中間の歴史問題に対する敏感さともつながっているという指摘には感心した。
モンゴル草原の生活世界…本書には、家畜の生態を暮らしの中心に据えたモンゴル遊牧民の生活が生き生きと具体的に描かれていて、旅行ガイドには書かれていない遊牧民の日常生活が目に浮かんでくる。なかでも次のエピソードはよかった。母ヒツジがまれに子ヒツジを認識できなくなる「子嫌い」という現象があり、そうなってしまうと母ヒツジは子への授乳を拒否してしまうそうだ。そこで、人が哺乳瓶で乳を与えたり、他のヒツジを養母にしたてるのだが、その際に養母になるヒツジをなだめるために唄われる「子とらせの唄」の歌詞がなんともいえず牧歌的なのだ。モンゴルでの人と家畜の距離の近さがよくわかった。
世界の音を訪ねる…ワールド・ミュージック界の仕掛け人が、最近流行のブラジル北東部(ノルデスチ)の音楽や、モロッコのグナワ音楽を追い、現地を訪ねて音楽と触れ合う、非欧米圏の音楽好きにはたまらない上質の音楽ルポだ。また所々に散りばめられた直感的な指摘もなかなか鋭い。例えば、インドネシア・スンダ地方(ジャワ島西部)のポップ・スンダと日本の歌謡曲のメロディが類似しているのは、日本統治時代に双方の音楽関係者が交流したからではないかとか、関西弁が抑揚の変化に富んでいるのは、古代より渡来人が多く、彼らの唄うような四声を粋に感じた畿内の人々が、一種のシノワズリとしてその抑揚をまねたためではないかとの指摘には、なるほどと思った。
もっと知りたい世界の民族音楽…本書は世界中の様々な民族に伝わってきた個性的な音楽を、特に伝統音楽に重点を置きながら広く浅く説明しています。流行歌・商業音楽としてのワールド・ミュージックからは、一歩離れたスタンスをとっていますが、各民族の伝統音楽の特徴がわかれば、ワールド・ミュージックへの理解も的確になることはうけあいです。世界中の民族楽器を演奏するという著者らしく、特に楽器の説明にかけては、とても具体的でわかりやすい(例えば、撥弦楽器カーヌーンと打弦楽器サントゥールの違いなど)。本書はまさに、世界各地の音楽の素晴らしさを単に感性で味わうだけでなく、その歴史を知り、体系的・音楽論的に理解したい人には最適でしょう。
アジアをつなぐ英語…東南アジア・インド・中国・韓国などアジア各国で話されている、現地人による脱英米化した発音・語彙を持つ英語の特長が記されていて面白い。例えば、日本人がフィリピン人に向かって何か依頼した時、"I'll try."と言われたのでずっと待っていたが、フィリピン人は来なかったという話があげられているが、実はフィリピン英語では、"I'll try."は、実質的に"I don't think I can."を意味するというのには微笑を禁じえない。
私の家は山の向こう…テレサテンの中国語曲を聞くと、耳元で直接ささやいているかのような甘い歌声が聞くものを魅了する。深い情感に満ちた「月亮代表我的心」、静謐感が心にしみる「独上西楼」、初々しい「初恋的地方」、躍動感あふれる「採紅菱」、日本の曲をカバーした「小村之恋」、戦前の上海歌謡のリバイバル「天涯歌女」、中華民国の国花を唄った「梅花」等々、どれも素晴らしい。日本では幅広いレパートリーのほんの一部しか唄っていないこと、演歌歌手テレサテンというイメージが、日本向けに作られたものだったこと、がよくわかった。


